傷付いたその手を もう離すよ。

※当ブログはただの愚痴吐き溜め記事であり、大変ネガティブな内容が含まれております。

 これからも純粋にPlay.Gooseを応援したい、或いは既にされている方、

彼らのことが大好きな方には、不快な思いをさせてしまう可能性がある為、

読むことをお勧め致しません。

ここでページを閉じるか、読み進める場合は自己責任でお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれから64日が経って」

 

休止期間が終わりを告げ、チャンネルは変わったが、待ち望んだいつも通りのYoutube liveが始まる…

 

 

 

 

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

 

 

大好きだったGoose houseが突然目の前でバラバラになった。

 

音すら立てずに。

 

何も理解出来なかった。いや言い換えれば

 

 

 

理解する隙すら与えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

活動の方向性の違いから、1人残してのGoose houseからのメンバー大量脱退

 

各々の個人活動に重きを置きつつ、脱退したメンバーと以前卒業したメンバー数名とで作られた新体制での活動開始。

 

 

これだけ見れば、「別に活動スタイル変わっただけじゃん。そこまで悲観するようなことか?」などと言われても仕方ない。

むしろ、「解散じゃなくてよかった〜😌」くらいに安心するべき話なのだ。

 

しかし、私はGoose houseが事実上の解散になったことが悲しくて絶望していたわけではない。

 

 

こんな今後に関わる大事なことを、まず行うべき書面での発表等をせず、何が起きるかわからない生放送で、多くのファンの戸惑いを余所に、楽しそうにへらへら発表し、最後にはいつものように歌い始めたことに絶望したのだ。

 

もう途中で見るのを止めた。限界だった。

 

 

 

 

 

その時の私の心境といえば、これである。

 

 

 

 

 

 

 

は??????????????????????????????????????おいおいちょ待てよ

 

 

 

 

 

 

 

思わず「は、何だこれ。」って声が出た。頭に「?」しか浮かんでこなかった。

 

何でこの人たちはこんなに楽しそうなんだ?本当にYoutubeのチャット欄見てたのか?

 

 

この人たちの口から出てくるのはファンへの誠意よりも「絶対損はさせないから!」「安心してついてきて欲しい!」みたいな、根拠のない安易すぎる言葉。色々あり得ない。

 

それに生放送するにしても、発表の為の生放送(歌唱なし)を行なった一ヶ月後くらいに通常の生放送(歌唱あり)をするべきではないのか。なぜ、段階を踏まない。

 

ファンの感情など、この人達にとってはどうでも良いのか?

 

 

こんな発表なら、なぜ変に期待させるようなカウントダウン動画を出した?

 

 

しかも何で他のハウスメイトはそんなすぐ内容飲み込めてるんだ?

 

 

事情も事情だから、言えないこともある中で言葉を選び発表してくれたのは私みたいなバカでも分かる。でも、こんな誠意は上っ面だけの杜撰な発表で何でみんな納得してるんだ?

 

 

 

ファンの思考が完全に停止している。これではカルト宗教の中身となんら変わらないとすら思った。

 

 

 

さらに私がモヤついたのは、この地獄のような生放送とは関係ないジョニーさんが後日書面で誰よりも明確で丁寧な説明をしてくれたことだった。

 

公式はジョニーさんのその発表ツイートをRTするだけで何も言及せず、脱退した側のメンバーはファンに話すべき核となる部分をひたすら隠し続けるばかり。

 

 

みんな責任から逃げ回って、結局1人になすり付けただけじゃないか。なんなんだ、これは。国会か?

 

 

これは本当に、私が好きだったGoose houseなのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなことを考える私がおかしいのか。

 

 

 

そうきっと、私がおかしいのだ。

 

勝手に好きになって、

勝手にCDを購入して、

勝手にyoutubeでカバー聞いたりして、

勝手に生放送楽しんで、

勝手にライブにも行った、

 

こんな身勝手な私にそんなことを言う権利はないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、何故私がこのブログを書こうと思ったか説明したい。

 

つい最近まで、もうスッキリ彼らのことは忘れようと思っていた。

全部最初から無かったことにしようと。

そんな矢先の1月27日、あるニュースが目に飛び込んできた。

 

私が10年以上ずっと応援してきた、嵐の活動休止であった。

 

人生が終わったと思った。 暖かい帰りの電車の中で、手が震えていた。

 

震える手を握りしめながら、その日の夜の会見を見た。

 

 

 

 

日本で知らない人はいないくらいとんでもなく凄い人達が、ファン一人一人と同じ目線で同じ歩幅で、全てを包み隠さず、まっすぐ話してくれていた。素晴らしいの一言では言い表せないほどに尊く、誠実で、最高の会見だった。もはや会見すらも、嵐のライブパフォーマンスになっていた。

 

 

嵐の何がそれほど素晴らしかったか。それは、彼らが取った全ての対応や発言がファンへの誠意に溢れ、ファンの心のケアが自然と行なわれるようなカタチになっていたことだ。

 

具体的に言えば、

 

・具体的な休止期間や期間中の予定などについてファンをぬか喜びさせる可能性のある発言を安易にしない。

 

・特定のメンバーに責任や批判が降りかかることを想定し、「これは全員で話し合って出した結論であり、その人のせいでこうなったとは全く考えていない。もし彼が悪者に見えるのであれば、それは我々の力不足。」と言い切る。

 

・「ファンも前を向かれすぎると辛いと思うから、前を向きすぎずにみんなと向き合っていきたい」とファンの心情を理解しすぎている発言。

 

・数日間に分けて、段階をちゃんと踏んでいる。

 

・ファンの様々な感情をすべて受容してくれる。etc...

 

 

ここまで完璧な、ファン全員が「ファンで良かった」と思えるような活動休止発表があっただろうか。いや、ない。今までもこれからもないだろう。

 

 

 

 

 

会見内容については見てもらう方が早いので、リンクを貼っておく。

 

www.sanspo.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この嵐の対応を受けて、脳裏にあの日のPlay.Gooseの生放送が浮かび上がり、

その対応の酷さをまざまざと思い知らされ、怒りと虚しさに襲われた。

 

両者は活動してきた年数も環境も、置かれている立場も全く違うから、比較するべきでないことはよくわかっている。

 

でも、それでも、

 

どこかにこの感情を発散しなければ、自分がどうにかなってしまうと思った。

 

だから今、感情に任せて文字を打っている。指が動くままに。

 

 

楽しげな歌声に掻き消されて、彼らの耳にこの声が届くことは一生ないだろうけど、言わせてもらう。

 

メンバーのみんな。

 

あの発表のやり方で"良かった"と思っているなら、それは間違いだと思う。

 

 

勝手に好きになっといて文句言うのかよって思うかもしれないけど、

 

ファンのことを"ハウスメイト=同居人"と呼ぶくらいなら、

 

同じ目線で、同じ歩幅で、同じ速さで歩いて欲しかった。

 

引っ越しするなら、もっとちゃんと教えて欲しかった。

 

「何で?」「どういうこと?」を咀嚼して、消化する時間を与えて欲しかった。

 

シンガーにとって大切なのは、自分らしく自由に楽しく歌えること。

 

自分たちが楽しく歌い続ける為に、自分たちを一方的に信じ、全肯定してくれるファンだけいればいいんだよね。

 

ごめんね、否定ばかりする嫌なファンで。

 

 

 

 

 

 

 

Goose houseが大好きだった。「歌を届けたい」という気持ちが素直に伝わってくる彼らのまっすぐな歌や人柄が好きだった。

 

 

私はこれからもGoose houseのファンであることに変わりはない。

 

 

でも、決してPlay.Gooseのファンじゃない。

 

 

ファンになる気も、もうない。

 

 

 

 

 

 

 

 ファンという言葉は、fanatic【意】狂信者・盲信者の略称だという。

 

 

ファンと名乗っていながら、大好きな彼らの言うこと成すこと全てに対して笑顔で「イエス」と言ってあげられない私がおかしいのだろう。

 

 

 

 

 

私は結局、盲信者になり損ねたのだ。